暑い暑い八月が終わりましたが、この異常気象は何時迄続くのでしょう。
もしエアコンがなかったら、もし停電になったらどうなるのかと、思うとゾッとします。幸い今災害がないので気持ちに緩みがあるかもしれません。
しかし、この九月はかつて関東大震災や伊勢湾台風があり、ひどい被害を受けた月でもあります。今一度防災について真剣に向き合いたいものです。
さて、涼しくなることも考えましょう!何といっても秋は、美味しい果物やお米が収穫されるなど食欲の秋でもあります。また、スポーツの秋、読書の秋でもあります。健康の為には運助を、数養を高める為には読事をして有意義に過ごしましょう! 皆様のご多幸を祈念致します。<宮司>
防災の日(9月1日)
大正12(1923)年午前11時58分、関東大震災(マグニチュード7.9、震度6)が起こりました。震源地は神奈川県。北海道から九州まで揺れが感じられたそうです。東京では約150カ所から火災が起こり、三日間燃え続け市街のほとんどが焼け野原と化し、死者行方不明15万以上、家屋全半壊25万戸、焼失家屋44万戸、京浜地帯は壊滅状態になりました。昭和35(1960)年「防災の日」と制定。これを教訓に、災害についての認識を高め、災害に対する教訓に、災害についての認識を高め、災害に対する心構えをする日。又、この日を挟んだ1週間を防災瞬間。
二百十日、二百二十日
立春から数えて二百十日目と二百二十日目。この頃は台風の多い時期、台風の厄日であるとされ、その年の稲作など農作物の収穫に大きな影響を与え、無事にすめば、その年は豊作になるといわれている。その為、風を鎮める祭り(風祭)が各地で行われます。富山県の「越中おわら風の盆」、奈良県「風鎮大祭」などがあります。
重陽の節句(9月9日)
機数は縁起の良い陽の数字とされ、一番大きな陽の数である九が重なる九月九日を「重陽」として節句のひとつとしてきました。古代中国では菊は邪気を祓い長生きする効能があると信じられていました。日本では平安時代以前は農村や庶民の間で秋の収穫が行われる時期に「菊の節句」とも呼ばれて栗ご飯などで節句を祝いました。平安時代に入って中国思想の影響を受けると菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、須臾(しゅゆ=ぐみの実)を掛けて悪気を祓う菊花の宴が催されるようになりました。江戸時代には武家の祝日となり、明治時代までは庶民の間でもさまざまな行事が行われていました。
旧暦の九月九日は現在では十月にあたり、暦が移り、まだ菊も咲かない時期であり、今はあまり行われなくなったのでしょう。菊は中国から薬用として伝わったものですが、皇室の紋章とされまぎれもなく日本を代表する花といえます。
敬老の日 日本の国民の祝日
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝うことを趣旨としている。
兵庫県多可郡野間谷村の門脇村長と山本助役が1947(昭和22)年に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄の知恵を借りて村作りをしよう」と農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いた。これが1950(昭和25)年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後、「としより」という表現は良くないということで1964(昭和39)年に「老人の日」と改称され1966(昭和41)年に国民の祝日「敬老の日」となった。「聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日」や「天正天皇が養老の滝に御幸した日」である等の俗説もあるがどちらも確かではない。9月15日は2004年から9月第3月曜日となった。
中秋の名月
旧暦八月十五日の月を鑑賞する日。陰暦(旧暦)では七月を初秋、八月を中秋、九月を晩秋といいました。故に八月十五日の月見は、「中秋の名月」と呼ばれます。延喜九(909)年、日本で初めて月見が行われ、貴族たちは月を見ながら和歌を詠みました。次第に武士や庶民の間にも広まり、江戸時代になると、月に稲の初穂、団子、里芋、栗、柿、御酒、ススキなどを供えて、収穫を感謝するようになりました。
秋の彼岸
秋分の日を中日とした前後7日間。仏教では、彼岸会を行い、祖先の霊を慰める法要を営む。彼岸会は桓武天皇の延暦二十四(805)年皇祖の追善供養のため、春と秋の彼岸七日間に全国の国分寺で金剛般若経を読経させたのが始まり。江戸時代には、庶民の間にも年中行事として広まりました。「彼岸」とは「向こう岸」という意味です。こちら岸は、現世で「此岸(しがん)」といいます。「此岸」の欲望や迷い、悩みを断ち切り、生死の海を渡って到達する終局。思想、悟りの世界が「彼岸」であり、つまり煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)した境地をいいます。