先ず、熊本で起きた震度七という大地震で多くの方が犠牲になり心よりお見舞い申しあげます。また、連日の猛暑・酷暑で熱中症となり命を落とす人も出ています。もしエアコンが無ければどうなるのかと思うとゾッとしますが、熊本では今そういう状況に置かれているのです。昭和二十年の夏は全国どこもかもがそういう状況でした。食べる物もなく悲嘆にくれていました。この状況を心痛された昭和天皇は、マッカーサーに会いに行き、責任は全て自分にあると命を投げ出し、皇室にある財宝の目録を渡して、国民を助けて欲しいと頼みました。天皇は命乞いに来たと思っていた彼は、驚き、財宝には手をつけずに食料を支援したのでした。このように私達は多くの支えで生きています。神の恵みと皆々様の幸を祈念致します。<宮司>
広島原爆の日
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが広島上空で世界初の原子爆弾リトル・ボーイを投下した。広島市内は壊滅し、約14万人の死者を出した。(原爆忌)
長崎原爆の日
広島に原子爆弾が投下されたわずか三日後の午前11時ごろ。米軍のB29爆撃機(ボックスカー)がプルトニウム爆弾「ファットマン」を投下。長崎市松山町の500メートル上空で爆発した。約7万4千人の市民が死亡し、約7万7千人が重軽傷を負った。
広島長崎それぞれの日には原爆被災者の慰霊と世界の平和を祈念する式典が行われる。広島は昭和47年から長崎は昭和48年から始まった。
終戦の日
昭和20年7月26日。米英中の三ヶ国はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は中立条約があるソ連に和平講話の仲介を託していたが、8月6日の広島への原子爆弾投下。8月8日ソ連対日宣戦布告。8月9日長崎への原子爆弾投下と重大対事態が続いた。8月10日、日本政府は中立国を通じて国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定された終戦の詔勅が発せられ連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。翌8月15日正午、昭和天皇の玉音放送がラジオから流され、国民に大きな衝撃を与えた。その後、9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上において日本政府及び軍代表が降伏文書に署名して四年にわたった大東亜(太平洋)戦争は終了した。